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花びらも私も淀む沼となる

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コメント

桜の咲き様によっては、やっぱりどーも尋常ならざるものを感じちゃうんですよ、わたし^0^;
綺麗!と思うのと同時に怖気震うような感覚。
散った花びらの頼りないのが性分に合います。

投稿 かっこ | 2008年4月 6日 (日) 16時29分

かっこ様
ほんとほんと、咲いても散っても桜は気になる花ですね。
私が桜を意識し始めたのは、50代後半になってから(遅すぎ?)。
怪しさ、怖さ、でも綺麗……目が離せない。
プロフィールページに写真を載せましたが、
今年は幹に直接咲く小さな花に心を引かれました。
来年はどんな桜に心引かれるのでしょうか。

投稿 ゆい | 2008年4月 6日 (日) 21時12分

花の時期に、地球の裏側のコスタリカからやってきて
3週間ばかりステイしていたアリアーナは
満開の桜よりも木の根元のシャカや、
同じ頃咲き始めた花水木に目を見張っていました。
桜はぼんやりした花だと思ったようでした。

咲き初めも満開も散りかけても、美しさも妖しさもわかる
日本人でよかったと、春にはしみじみ思います。

「亡娘らもまた座り居りたる花の椅子」

何年か前、四ツ谷の母校で一緒だった友人が亡くなったときに
クラスメートが集まって和綴じの追悼文集を編みました。
表題を私の句からとって「花の椅子」とし、
書家のメンバーがその文字を版木に彫って一冊ずつ刷りました。

花の頃には、人波が去る頃の四ツ谷の土手のベンチに座って
温かいココアをゆっくりと飲みます。
一人娘や若い時分の親友や「花の椅子」のクラスメートや・・・
思いがけず早く帰天した人たちが、隣にそっと座ってくれます。

投稿 綏子 | 2008年4月 8日 (火) 10時28分

綏子さま、コメントありがとうございます。

<亡娘らもまた座り居りたる花の椅子   綏子>

「花の椅子」という措辞が、哀しみをより深くさせていますね。
少し似た春の句を思い出して、今日の句(494)にアップしました。
「彼岸の人」があいまいで、朧々と何も見えてこない拙句です。

投稿 ゆい | 2008年4月 8日 (火) 21時51分

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